はれま物語STORY

はじまり

チリメンじゃこと実山椒を、
何気なく一緒に炊いたのが、
はじまり、はじまり。

ちょっと昔。
昭和の半ばごろのこと。
京の家庭で普段から親しまれていた、
チリメンじゃこと実山椒を、
宮川町の料理人・晴間保雄が
いっしょに炊いてみたのがはじまりでした。
料理人の勘が引き合わせた、
海の幸と山の恵みのおいしい出会いでした。

手作りのチリメン山椒は、台所で生まれました。
それは、親しい人への手土産でした。

昔は手みやげといえば、買うものではありませんでした。
家で作ったり、沢山穫れたものを“お裾分け”する感覚で、持っていくのが当たり前でした。はれまの“チリメン山椒”は、最初から「商品」として生まれたものではありません。初代が台所で作り、親しいひとに配っていたものでした。

おいしい ! そんな声に応え、また炊いては配る・・・
“チリメン山椒”は界隈で評判になりました。

初代・晴間保雄は“チリメン山椒”を売ったことがありません。
持って行った先々で「おいしい!」「またつくって!」と、もらった人や食べた人たちが喜んでくれるのがうれしくて、せっせと炊いては、親しいひとへ配り続けました。
顔見知りの舞妓さんや芸妓さんもその味を大そう楽しみにしてくれました。

れきし

昭和46年。
初代の作り方を受け継ぎ、
“チリメン山椒”を
家の玄関で売り始めました。

昭和四十六年。初代が病に伏し、
晴間家に転機が訪れます。
初代から“チリメン山椒”の
作り方をきいた家族が、
自宅の台所で炊いたものを
玄関先で細々と売り始めました。
それは商売を始めるというより、
病になった初代の面倒を見るため、
一家の家計を支えるためでした。

なかなか売れない、“チリメン山椒”。
いつの間にか同じような商品が並ぶようになり・・・

最初は、知ってる人以外には、なかなか売れなかった“チリメン山椒”。
宣伝も何もしていなかったので、今思えば当たり前です。
そのうち同じような商品が、東京で大々的に売られると、ちりめんジャコと実山椒を炊いたものが“京都名物”として、全国に広く知られるようになりました。

“発祥地”と言われるようになり、
お客様が遠くから来てくださるように。

ちりめんジャコと実山椒を炊いたものが有名になると、「発祥地はどこだ?」ということになりました。
偶然にも自分たちの知らない所で有名になった“チリメン山椒”。
そのおかげで、最初に作った「はれま」にも、遠方から多くのお客様が足を運んでくださるようになりました。